仕事でミスがあると再発防止策でよく候補にあがる案にチェックリストがあります。
有効性も怪しいし対策しましたという事実を作るために、無駄にルールが増えるのはストレスだ、と思う人が多いようです。
かつて私もチェックリスト軽視派でしたが、積極的に使うようになった経緯を説明します。
玄関前のチェックリスト
チェックリストを日常で使っている人がどれくらいいるでしょうか。
数年前にある本を読んだのがきっかけで、ウチの玄関には自分用の出がけのチェックリストがあります。
最初に置いたときには妻や子供に笑われましたが、他にも私用のチェックリストをいくつか作って時々更新しています。
いやいや、その程度は「普通に気を付けていれば忘れない」はずだ、と思いますよね。
私も普段の余裕があって平静なときは忘れませんが、時間がなくて慌てて家を出ていくとき、出がけ直前に急用が割り込んだ時、急遽上着を取り替えたとき、などイレギュラーがあるとかなりの確率で玄関を出てから戻ってくることになります。
出がけにさっと目を通すだけで、私は何度も救われています。冷静ならミスらないことも、外乱が入ると簡単にミスは起きます。
同じことが仕事場でも起きているんです。
普通はしないミスをするとき
会社では抜き打ちでセキュリティ訓練のメールを一斉送信することがあります。
いわゆる模擬フィッシングメールを送って、社員が間違って添付を開いてしまうと、引っ掛かってはダメですよーと警告が表示されてしまうやつです。
ソフト技術者から見ると、送信者のドメインが怪しかったり、リンク先URLを偽装していたりは、自然に気が付きますから、私は引っ掛かったことはありませんでした。
ところがある日、自分でも信じられないことに、訓練メールでうっかり開いてしまったのです。
入院していた父が亡くなる少し前のこと、実家の母から仕事中の私に、状態が悪くなっているので今日は早めに帰宅して待機してほしい、との電話がありました。予期はしていたものの心中穏やかではなく、重要な会議があったのですが急遽欠席にし、仕事の段取りをして帰り支度をしました。
PCをシャットダウンしようとデスクに戻ったとき、議事録と称するメールが入ってきました。送り主は私が欠席した会議の主催者の苗字です。私はドタキャンした申しわけ無さと、緊急用件がないことだけ確認したい思いで、一瞬違和感を感じつつも、早々に添付ファイルを開いてしまったのです!
まさに脳内で逃走闘争反応が起きて偏桃体が活性化し、判断力が落ちて非理性的になってしまっていました。
これは出来過ぎですよね。
全員宛ての訓練メールなので私を狙っていたわけではないのに、あまりのタイミングの良さ、その時の送信者名(苗字)のジャストミート。後で落ち着いて見返すと、議事録にしては早すぎるし、文体も普段の様式ではなく、平常時だったらひっかるわけがないメールに騙されたことはショックでした。
ただ、事故とは往々にしてそういう偶然が重なったところに起きています。
ここでようやく私も痛感したのです。みんなも常に平静に仕事している時ばかりではない。
直前に上司に叱られた、同僚とつい口論した、ミスしたかもと気になることがある、個人的事情、いろんな要因で「普通に気を付けていれば忘れない」はずが本人すら気付かずに普通じゃなくなっていることがあって、そういうときに次のミスが起きるのだと。
業務改善に取り組む
ワークスタイルイノベーションが叫ばれ、効率を上げて労働時間を短縮しようとするときに水を差すものは何か。
間違いなくひとつは、ミスすることでリカバリーの仕事が増え、それが負担になって次のミスをよぶ悪循環です。
ある決済が降りたあと複数の手配をするはずが急な割り込み業務のせいで1つ見落す。気付いたら日程に間に合わない。直接交渉して特急作業をお願いするのに事情説明やら別件との優先度の調整やらで駆け回る・・・こうして、最初の見落としさえなければ、順調に次の仕事に集中できていたのに、リカバリーの仕事が残業時間となってのしかかります。
対策の一つとして職場のチーム全員でチェックリスト作成活動に取り組みました。
他部門にサンプルを出すときのチェックリスト、審査会議に出す資料レビューのチェックリスト、或いは、急に休むときのチェックリスト、長期休暇前のチェックリスト、等々、うっかりミスによるペナルティーが大きいものを防ぐためにみんなで検討してGoogleワークシートに置き、共有確認できるようにしたのです。
何度もやっている資料レビューである時、時短のためチェックリストを省略しかけたことがありました。ちょっと待て、と念のためチェックしたら、1つ漏れている観点がありました。
もし審査会議で指摘されて棄却されたら他の出席者の時間をロスし、自分たちもやり直しの仕事が発生しているところでした。危ないところでした。
役に立った、という小さい成功体験の積み重ねが習慣化につながります。
チェックリストへの誤解
前職ではデスクワーク、特に技術系の職場で、形骸化したチェックリストの弊害を体験している人が多いようで「チェックリスト」という言葉にいい印象を持たない人が多く、我々のチェックリストを参考にしたいと言ってくれる職場と、関心ない職場とがありました。
Q:テンプレに頼って思考停止になるのでは
A:典型的な誤認識です。
思考停止するためではなく、思考能力を活用するためにあります。
平静でないときでも基本を確実に間違えずに遂行できることで、余裕があるときは余った思考能力で異変への気付きなどに活かせます。
Q:柔軟に対応できなくなるのでは
A:毎回チェックリストと同じことをゼロから脳内生成するのは認知資源のロスですし、それをすることで「考えているふりができる」だけであって、実際には柔軟にミスが生まれる結果になっています。
柔軟に対応できる頼れる人、がいるとしたら、それは業務の属人化の罠にはまっています。
Q:やることが増えて負担になるのでは
A:チェックリストだらけにする必要はありません。上記の例の様に、ミスった時のペナルティーの大きさ、リカバリーの労力と、ほんの短時間チェックリストを通すコストとの得失をどう考えるかは業務の設計思想であり、自分たちの価値基準で決めればよいと思います。
チェックリストの効果
- 状況に左右されず一定の結果を出す
- 思考余力が気付きや柔軟性を生む
- IT化しやすい(DXにつながる)
※業務がチェックリストに整理されていると、それ自体をITインフラ上で自動化する検討がしやすくなります。
私の取り組みのきっかけとなった本
「アナタはなぜチェックリストを使わないのか?重大な局面で”正しい決断”をする方法」(アトゥール・ガワンデ)
ガワンデ氏の事例はいろんな本で引用されていて、周囲にも何度か紹介して実践してきましたが、実際に読んだ人は少なく、読む前と後では「チェックリスト」の意味が変わってしまうことを考えるともったいないです。
以下抜粋です。
医療はここ数十年で超専門化し手術は劇的に進歩したものの米国では毎年5千万件以上の手術が行われ15万人が手術の後に亡くなる。現代医療でさえも数多くの失敗があり、これがもし航空業界なら毎週大惨事になっている状況なのに我々と航空業界はどこが違うのか?
航空機事故調査からどうフィードバックしているのか?
外科医ガワンデ氏が人命にかかわる医療現場のミスを減らすために、他業界の現場をめぐり、医療現場で試行して大きな成果を上げた結論が
精練した「チェックリスト」を規律をもって適用し続けることで、あらゆるプロフェッショナルのミスは劇的に低減する。
2001年「カテーテル挿入での感染予防」から適用し、一年後、カテーテル挿入から10日間の感染率は11%からゼロになった。
2008年 WHO(世界保健機構)を通じて世界各国8つの病院で実験導入が行われ3ヶ月で4千人の患者について、深刻な合併症の発生率は36%低下、死亡率47%低下、感染症は半減し再手術は3/4に減少した。
医者のスキルは変わらないのにチェックリストを運用するだけで劇的な改善となり、
2009年 WHOの手術用チェックリストが一般公開された。
最初の成果からWHOで取り入れるまで時間がかかったのは、
- チェックリストを確認される現場の医師はバカにされたように感じて導入に抵抗する
- スタッフも繁忙な現場で面倒な作業が増えると抵抗する
- 地味な活動よりも高価な設備投資や技能アップのための施策を現場は熱心に要求する
という現実があった。
様々な事例で、チェックリストを侮る傲慢さが、防げたはずのミスを引き起こすことが書かれています。有名な「ハドソン川の奇跡」では逆に、墜落の危機迫る機内で、ベテラン機長や搭乗員がチェックリストを通してすべきことに冷静に対処できたことが描かれています。
以上
参考図書(Amazon)
失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織
マシュー・サイド (著)
ガワンデ氏が取り組んだ医療改善の話も紹介されています。
様々な業界での事例は、ヒントに満ちていて、読み応えがありました。
防げ!現場のヒューマンエラー 事故を防ぐ3つの力
航空機の話はもとより様々な過去事例が引用されていて、とてもリアリティをもって(起きる前に)防ぐ知恵の大事さを痛感できました。