レーシック、その20年後に見えたもの

視力矯正手術LASIKを受けてから約20年になります。
おかげで私は素晴らしい月日を手に入れたと思っています。
実施当初から10年、20年と経つ中で気付いた事、思う事を挙げてみました。
身体のことは個人差が大きいので責任は持ちませんが、レーシックを受けるか迷っている方は一つの事例としてご参考ください。

レーシックとは

ご存知の通り、近視を矯正して裸眼視力を回復させる手術の一つです。
カメラのレンズの厚みを変えて屈折率を変えるとピントの位置が変わるのと同様に、眼球前面の角膜部分にレーザーで不可逆な加工を施し、近距離にしかピントが合わなかった人の眼のピント範囲を、遠方寄りにシフトさせるものと言えるでしょう。

詳しくは、私が昔お世話になった南青山アイクリニックのホームページの解説を参照ください。https://minamiaoyama.or.jp/about_lasik/index.html

治すというより、一眼カメラのズームレンズ 15mm~45mm(広角より)に x2.0 のテレコンバーターを付けると 30mm~90mm の中望遠になるみたいに、全体をずらすみたいな?乱暴な例えですみません。
実際に変わるのはピント調整域なので、もちろん視界がズームして見えるわけではありません。

視力低下の経緯

もともと私は高校までは視力は良くて、ランドルト環(Cマークのやつね)の検査では両眼とも視力1.5出ていました。
高校の部活は体操部だったのですが、強度近視の友人(一番上のCすら見えない)がいて、助走開始時に跳馬がよく見えていないのに全力で走るのを見て、よく跳ぶ勇気あるな~、とビビったものです。

十代後半で急に視力が落ちて眼鏡を使いはじめるも、視力0.3~0.6と半端に見えたせいもあり、二十歳近くまで眼鏡習慣が身に付かず、しょっちゅう眼鏡を忘れたり失くしたりで困りました。
大学時代には運転して出かけて、ドライブインで眼鏡を外してしゃべっていて、そのまま乗り込んでしばらく運転してから眼鏡してない(ボンネットに置いたまま落としてきた)ことに気付くとか、ルーフに置いて出発したこともあって、もう散々でした。

20代半ば過ぎて0.1~0.3くらいで視力低下も止まり眼鏡も定着し、30歳でパパとなりました。

眼鏡がずっとストレスだった

普段の持ち物に必須アイテムが増えて、常に忘れたり失くさない様に注意するのはストレス満載でした。
・出先でうっかり失くすと運転できない。
・鼻に汗をかくタイプなのですぐズリ落ちてくる。
・花粉症なのでマスクすると眼鏡が曇る。
・テニスなど運動用にスポーツタイプを別に持っていく必要がある。
・スポーツタイプは時間が経つと耳を締め付けて痛い。
・サングラスも度が入ってないと見えない。

そして子育て期はストレスに拍車がかかります。
ムービー撮るのにファインダーにぶつかって見えづらい、
肩車したり遊ぶときに眼鏡が邪魔(引っ掛かって落とす)、
とりわけ、海やプールで眼鏡を外してしまうと子供たちがすぐに見つからないのは恐怖でした。

LASIKを受けるまで

そんな中、2002年とある調査案件でニューヨークの現地法人に行ったとき、現法に駐在していた日本のスタッフが任期終えて帰国前にレーシックして帰る予定の話を聞きました。同僚の多くがそうしていると。
そこで初めて私はレーシックを知ったのですが、色々話を聞くことができたのがラッキーでした。

保険の関係で日本に比べて格安で出来るからだったと記憶していますが、あまり安いところは古い機材でやっているようで、希望の視力が出るかどうか精度とトレードオフな感じでした。
とにかく品質重視の日本と違い、安くてそれなりか、高いが品質をとるか、個人の判断に委ねる選択肢があるのがいかにもアメリカっぽかった。

私も帰国後にすぐ調べ、運に委ねたくはないので値段よりも最新設備で信頼できるところにしようと選んで行ったのが、前記の南青山アイクリニックでした。
国内でも実績はだいぶ増えてきていましたが、プロゴルファーなど品質重視する人たちの利用実績が決め手になりました。

角膜を削って薄くして屈折を変えるので、個人差のある角膜の厚みに十分な削りしろがあるかどうか等、事前検査の上でOKだったら、後日の手術日が決まります。これは理屈上、今でも同じはずです。
角膜を削る、というと怖く聞こえますが、要は正面からレーザー照射してすり減らしていき、予め計算された視力の出る厚みになったら止めるわけですよね。
検査で眼に麻酔を点眼すると、瞳孔が開いてピント調節ができなくなるので、その時点の眼球のもつ自然な焦点にしかピントが合わなくなります。この検査のとき、私は手元しか見えなくなりましたが、持っていった本は待ち時間中に読めました。近視なので近くだけが見えていたわけです。
手術を受けたのは2003年春、41歳の時でした。約20年前になります。

LASIK当日のこと

準備や術後の安静などの時間が必要ですが、手術自体は短時間に終わってしまいます。
決められた時間に行って、その日のうちに帰ってくるのですが・・・
一応こんな感じでした。

麻酔の点眼が効いて消毒など準備後にオペ室の仰向け椅子に寝かされます。
眼球の前面部の処理ですから、自分は思い切り目を見開いたままです!怖ぇ~~
瞼を開いた状態で眼玉を専用器具で固定されて、もちろん麻酔で痛みはないですが動かせません。
クリニックの説明にあるとおり、角膜の表面を薄くスライスしてめくり上げたところにレーザーを当ててから、めくった部分をまた戻します。当時はカンナのような機械がフラップをめくりましたが、Webを見ると今はそれもレーザーで行うようですね。
される側の視点では、フラップがめくられたと思われる瞬間に、視界がぼやけてみえなくなります。
ちょうど、水中から揺れる水面を見ているような感じになったあと、何やらフラッシングするものが見えた記憶があります。
レーザーが当たって削れていくときの臭いのようなものが少しあった気もします。
フラップが戻ると揺れはなくなりますが、何だかよくわからないうちに次の眼も終わっています。
終わってしまえばあっけないものです。

暫く安静にして眼の状態が安定するのを待ってから帰宅します。
先に述べたように、麻酔が効いているうちは瞳孔が開いてピント調節ができず、術後は眼の焦点が変わったことに気付きます。
つまり、もう手元にピントが合わないのです。
向かいの壁にかかったポスターが良く見えていた覚えがあります。

安静時間が過ぎたあと、ゆっくり帰り支度をして外に出ました。
まだ少し麻酔が残って瞳孔開いているので微かに眩しいためサングラスをかけます。
青山通り沿いにあるクリニックを出て、神宮へ向かう交差点の近くで歩道橋を登り、真ん中あたりで立ち止まって手摺から青山一丁目交差点方面に目を向けてグラスを外してみました。
鮮やかな風景でした。なんなんだこれは。
こんな美しい街の景観を見た記憶はいつ以来だったろうか。
通りを走る車、歩道を行く人々、建ち並ぶビルの窓、ずっと先の交差点の信号機の色まで、とにかくすべてがシャープでした。
自分のなかで何かのスイッチが切り替わった気がしました。

術後に感じたこと

目標視力1.5に対し、直後は一時的に視力が高めに出ましたが、すぐに1.5に安定しました。
術前の眼鏡視力を1.0と弱めに調整していたこともありますが、暫くの間は不思議な感覚がありました。
実際には見えているのに見えていない現象が起きるのです。

以前は読めなかった中吊り広告に目をやっても「読めない」ものを「眺める」習慣になっている、つまり読めないと思い込んでいるので、読めるのに眺めてしまっているのです。
あれ、文字が読めるじゃないか、と気付いて読みだす。
同じことが店舗内のディスプレイや遠くから近づいてくる知人との挨拶でもあったりしました。
思い込みがあるとアイディアや考え方に「盲点」が生まれますが、リアルな眼でも起きるという気付きは驚きでした。
まさに、盲点とは、物理的に見えていないことだけでなく、視界に見えていても脳に見る意志がないと見えないのでした。

余談ですが、これと同じ感覚を、実は10年以上経ってまた経験しています。
会社の役職全員TOEIC受けさせられて目標設定された事があり、通勤中に英単語を集中で詰め込んだ時期があります。
英語資料は自動翻訳通してざっと意味を掴むことが多くなっていて、原文は知らない単語や意味を忘れた単語ばかりで、よく分からないなーと読み飛ばす癖がついていたのが、ある時点で、あれ?俺、意味わかるじゃないか、と気付いたら急に知っている単語が並んでるのが見えてきて、そうだこれはレーシックの時と同じだと思ったのでした。

生活の変化

自分は見えているんだ、と意識を変えることで視界から飛び込んでくる情報量が急増しました。
そうすると普通に歩いていても今まで無視していたものが見えだします。
刺激が多いので、下がり気味だった知的好奇心なども不思議と復活していきました。

生活上のストレスも劇的に減りました。
通勤から外出、旅行、車の運転、すべての行程で眼鏡の在処を気にする必要なし。
ビデオやカメラのファインダーを覗くのも楽(いつでもどこでも)。
運動するのも苦でなくなり、昼休みに若い人と会社のコートでテニスやキャッチボールするようになり、体脂肪率も10年前に戻りました。
何よりも、子供が小さい間は、海やプールで気にせず一緒に入れて少々離れても見えている安心感は何にも代えがたいものがありました。


いかに自分にとっては眼鏡でイライラを募らせていたか、を逆に思い知ったのでした。

10年後の変化

近視の人は老眼期に入っても元々見えている近くは見えるようですが、視力矯正すると(いわゆる元々視力が良い人と同じように)調整力で近くが見えていたものが調整力の低下によって近くにピントが合わなくなります。
50代になって老眼現象が出てきて、近い・小さい・暗い、ものが見えなくなってきます。

手に刺さった棘が、近づけるとボケて見えない、遠ざけるとピントは合うが小さくて見えず、自分で満足に抜けないんです。
サプリメントのパッケージにぎっしり書かれた能書きも、字が小さくて、近づけても離しても読めない(笑)
この弊害は、手術する前に教えられているので予定通りですが、いざなってみると、もどかしいですね。

眼科医じゃないので不正確な事を承知の上で、体感的な眼の調整力の変化を図にしてみました。
近視では近い方に基準点があるので、調整力が落ちても近くは見えるまま遠方視力のみ落ちる。
正常視力では中間に基準点があるので、調整力が落ちると近くも遠くも視力が落ちる。
(老化すると遠視になるというのは、昔の人が時々言ってた誤解です。)

ある時、本を読んでいても全く頭に入らなくなっていることに気付きました。
どうしたんだろう、と考えたところ、頑張って眼で読むことにエネルギーを使ってしまい、内容に集中できなくなっていました。
さっそく、老眼鏡を作りました。
するとまた読むペースが復活したのですが、やっぱり使いわけるのが億劫で・・・

そこで私は新しく買う本は基本的にすべて電子書籍にしてしまいました。
新聞紙面や文庫本(製本版)はほとんど読まなくなりました。
Kindle, iPad, パソコン27インチモニターの画面で読みます。
文字を自在に大きくできること、透過原稿(光量が明るい)になるので電子書籍は楽に読めるんです。
今はさらに目に優しいダークモードもあって愛用しています。
1ヶ月の読書量は紙本時代にくらべて倍に増えました。

VRゴーグルやARグラスなど新しいウェアラブルデバイスを裸眼で楽しめるのも良いです。

20年後の変化

老眼は受け入れており、遠方視力は若干低下して左右1.2ぐらいで持ちこたえています。
高齢になると白内障、緑内障等々、なにかと眼の障害が増えてきます。
ところがここでも裸眼のメリットを痛感したのです。

60歳直前の夏、右眼に網膜動脈分枝閉塞症(下記参考)が出てしまいました。
https://www.skk-net.com/health/me/c01_06.html

網膜の血管が破れて出血し、出血のある領域が腫れてゆがんで、視界の中で見えない場所が出来てしまう症状です。加齢による動脈硬化と夏場の水分不足による高血圧等が考えられますが、出てしまったものは仕方ない。実は前年に突然飛蚊が増えてびっくりして眼科に行ったら出血痕があったりと、後になって思えば前兆だったのかもしれません。
両目でモノを見ていると気付きにくいのですが、私は一眼カメラのファインダーを右眼で覗くので、視野にはっきり欠損があることにすぐ気付いたのはラッキーでした。

治療としては眼球に注射針を刺して網膜に薬を打つ(1ヶ月おきに3回!)のですが、その術前と術後も何度も眼に麻酔して検査を繰り返します。
約半年間の通院の間、何があっても裸眼のまま行って帰ってこれる、というのは本当に助かりました。
眼鏡やコンタクトが必要だったら、毎回とても面倒な思いをするところでした。

緑内障や網膜剥離は怖いので早く気付くことが大事ですが、早期発見のソリューションもこの先十年で沢山出てきそうな感じです。
十数年後には白内障の治療を対処していることでしょうが、その頃には多焦点眼内レンズが普及していると思います。

最後に

どうでしょう。
レーシックを受けて20年、老眼症状が出ることを除けばメリットばかりでした。
かつ老眼症状はテクノロジーでカバーできています。

近年また様々な治療方法が出てきているようですし、完全に非侵襲的なテクノロジーで対応できる時代も近いかもしれません。でも、待っていればもっと良いものが出ると言っていたら、進歩し続けるものはいつまで経っても手に入りません。
ライフサイエンスも確実に進歩し続ける領域です。

眼鏡をしなくなった当初しばらくはレーシックってどうですか?とよく聞かれましたが、私自身、年月が経ってみないと分からないこともあり、言いづらい所がありました。自分にとってレーシックがアンチエイジングの心の変化につながることは、術前にいくら眼科サイトをみてもわかりませんでした。

もう少し待ったら・・・と言っている間にも、自分の貴重な人生の時間は過ぎていく。

20年待って素晴らしいソリューションに出会ったところで、それまでの20年は帰ってきません。
どの手法を選ぶにせよ、もし今、小さい子供がいてかつての私と同じような不安、ストレスを抱いているなら、飛び込まない理由はないと私は思うのです。

ちなみに、
妻は、私がレーシックした直後にあまりに生き生きとし出したのをみて「ずるい。私もやる」といって、半年後くらいに同じところで受けました。当初1.5見えていたのが、徐々に視力が落ちて1.0以下まで落ちていますが、今も眼鏡なしで免許はクリアしています。個人差はありますね。
私と違って早々に老眼鏡も併用しています。これも人それぞれです。

以上


加齢とともに眼の疾患には敏感になりました。
網膜で出血して視野に見えない部分が出来てしまう網膜動脈分枝閉塞症には慌てましたが、後付けて読んで理論武装しています。
重い疾患のときは、適当に眼科医を選んではいけない、ということが良く分かりました。
眼ばかりは、見えなくなってからでは取り返しようがないので恐ろしいです。

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