現像嫌いが作った現像ソフト~20年後のリベンジ(X RAW STUDIO)

アイディアが出たときは実現困難だったのに、今なら実現可能になっている、ということが往々にしてあります。でも、一度諦められたアイディアの多くは忘れ去られ、実現されずに終わってしまいます。
運よくリベンジできたデジタルカメラ用のRAW現像アプリケーションの開発事例を考察します。

RAW現像について

デジタル一眼カメラの上級者以外には馴染みのない「RAW現像」について簡単に説明しておきます。
カメラで撮影をするとメモリカードに記録されるJPEGファイルは、カメラの撮像素子からの電気信号を画像処理回路で加工調整して横6000画素x縦4000画素のようにRGB三原色の整列した画像データを作り出しそれを不可逆圧縮してファイルに記録したものです。
RAWとはその画像処理回路で加工調整する前段階の情報をファイルに保存したもので、そのファイルを使って後から加工調整を加減して所望の画像データを作り出す作業をRAW現像と呼んでいます。

普通に使われるJPEGファイルの画像編集では、すでに加工調整と圧縮で情報が減っているものに対して更に加工調整(色調や明暗などの)をするので、微妙ですが画像が劣化(色がにじむ、とか、細かい所が潰れる様々)してゆきます。そのため上級者はRAW現像をして一番鮮度の高い情報に調整を加えることで出来る限り高品質の画像を得ようとします。カメラのメモリカードに保存されているRAWファイルをパソコンに移し、アプリケーションソフトを使って様々な調整項目を加減し画面で変化を確認しながら仕上げます。パソコンにとっては重たい処理なので時間と忍耐力が要求されます。
感光した状態の銀塩フィルムを薬品処理して画像を見えるようにする工程にたとえて「現像」と呼ばれています。

“FUJIFILM X RAW STUDIO” について

FUJIFILMのデジタル一眼カメラのRAW現像をするアプリケーションソフトです。
デジタルカメラは現像処理用のハードウエアを内蔵しているので、撮影すると瞬時に現像してJPEGファイルが保存されますが、パソコンではプログラムで実行するので自由度が多い反面、時間がかかるデメリットがあります。
FUJIFILM X RAW STUDIOでは、パソコンとカメラをUSBケーブルで接続しておき、現像の肝心な部分のみをパソコン内のプログラムではなくカメラの中の画像処理ハードウエアで実行することで、高速かつ高品質なRAW現像が出来る様にしたものです。

fujifilm-x.com「FUJIFILM X RAW STUDIO – 特長と使い方ガイド」より

断念してきた経緯

1996年にVGA解像度でコンパクトデジタルカメラの市場が立ち上がり、1998年にはカメラの画素数が1M(百万)画素を越えて画素数競争が始まっていました。RAW現像の処理量は画素数に比例しますから、画素数が倍になるとPCの性能も倍必要になり、2000年以降はPCの性能が追いつかない懸念が出ていました。
(当時デジタルカメラ8~10万円に対しPCは30~40万円くらい)
カメラ用に開発したLSIを使ってPC用現像エンジンを構成するアイディアはその頃からあって、社内で検討していた人もいました。また、他社でも同様な検討がされていたことがわかっています。

10M画素が視野に入ってきた2006年頃、私もグラフィックボードのようなPCの拡張基板と専用ソフトウエアで現像する案を再検討しました。商品開発での実現性とは、技術的に可能か?ではなく、妥当なリソース(予算・人員)と期間で開発できて、利益の出る製品単価で市場に出せるか?ということです。

結論としては実現性がありませんでした。
通信部分だけでも新規の回路設計とPCのドライバから基板側のファームウエア、それから現像の制御ソフトと、膨大な開発工数が必要で、とても製品単価が成り立ちませんでした。量産するカメラのLSIを流用したハード単品のコストはまだしも、開発費を回収するための上乗せ単価が大きすぎました。

巡ってきたチャンス

さらに10年を経てカメラとしての基本機能に加えてデジタル機器としての基本性能が進化し、前回断念したときと状況が大きく変わりました。

  1. PCからUSB経由で撮影制御できる機能をカメラがもっている。
    特別なドライバや通信プログラムを新たに作る必要がありません。
  2. 通信速度はUSB3.0(規格5Gbps)と10倍以上高速化している。
    カメラ内のエンジンにUSB経由でRAWデータ(数十Mバイト)を一瞬で送れます。
  3. RAW保存した画像をカメラ自身で現像しなおす機能が既にある。
    現像用のパラメータを操作するための仕掛けも内蔵されています。

カメラ側にもう少し機能を追加しさえすれば、カメラのエンジンを使ってPCから現像するシステムが提案できることに、あるとき気が付きます。しかし、すでに忘れ去られたアイディアは誰も要望していませんし、開発計画にも織り込まれていません。人もいないし予算もない。
プレゼン資料を作って設計部内で何度か話をしましたが、否定派はいなかったものの、賛成派と無関心派に分かれたのも無理はないでしょう。

そうなると実験機を作って動くものでインパクトを与える作戦しかありません。
商品化案件が目白押しでカメラの組み込みソフト開発チームはまったく余力がない状況が続いていましたが、たまたま、ある開発で前工程がトラブルって開発日程に待ちが生じてしまい、その隙に短期間の試作開発を割り込むことができました。

実装の担当と話をして意図を説明し、最初はテストツールでデータ転送、現像など、処理単位での計測を行ったところ、机上で見積もった期待値通り。
問題はこれがアプリケーションとして組み合わさったときに期待通りの効果が見えるのか?
実験用のGUI仕様を私が書いてベンダーとプロトタイプを作ります。通信関係も思った以上に順調に試作が進捗しテストアプリが出来ました。

検証するカメラは、当時最大の50M画素のラージフォーマットカメラGFX50Sです。
USB3で接続してテストアプリを起動しRAW画像を選択してボタンを押すと・・・
一瞬で現像結果が画面に表示されます。思わず「お~。」と声が漏れました。

製品搭載へ

さっそく設計部内でデモしてみると、現像の苦労を知らない人は「面白いアイディアですね」程度の反応な一方、知っている人は速度に驚き、早く製品に搭載しましょう、と言う。
企画営業部門に直接デモしに行くと、統括マネージャーが身を乗り出しこれはすぐにでも絶対やるべきだ、開発中の製品の仕様変更をして搭載したいという話に進展していきました。

1億画素も視界にあり現像速度は重要な要素でしたが、もう一つ大きな差別化要因があります。
富士フイルムのカメラにはフィルムシミュレーションというかつての名作フィルムの画作りを再現する特徴があり、カメラが現像して記録するJPEGの品質に定評があります。熟練ユーザーですら他社の現像アプリケーションでRAW現像をいじってもカメラが記録するJPEGの画作りに出来ないのです。
だからこそカメラと同じ画作りが出来ることが他社デジタルカメラにはない特徴になり得ます。

<余談その1>
この機能はアプリケーションソフトとカメラの組み込みソフト側と両方で開発が必要なので、最初は次期企画製品向けの提案でした。ところが開発中の製品に仕様追加する方針が決まって大慌ての上に、さらに早いタイミングで予定している既存製品のファームウエアアップデートから導入へと、どんどん計画が前倒しになりあまりの短納期に真っ青でした。
予算を確保し必死で設計書を作っている最中の2017年9月FUJIKINAで開発発表された時、本番プログラムはまだ一行も動いていませんでした。一度別部門の仕事に異動していたソフト開発のベテランMさんを頼み込んで呼び戻してもらうなどお祭り状態を経て薄氷を踏む思いで、11月末のmac版リリース、年明けてのWindows版リリースに辿り着いたのでした。

初版リリース後にプロカメラマンの内田ユキオさんがとても評価して下さり感激でした。
https://fujifilm-x.com/ja-jp/stories/yukio-uchida-meets-fujifilm-x-raw-studio/

その後もバトンを引き継いだMさんが営業やデザイナーと協力して改良アップデートを続けてくれて、初版リリースから3年という珍しいタイミングで2020年「グッドデザイン賞」も頂くことが出来ました。

実現できた背景

新機能が自社商品の特徴にマッチしていたこと、実現に必要な要素が揃っていたことは当然ありますが、忘れ去られるアイディアが多い中で、なぜリベンジできたのかを振り返りました。

1.過去のコンセプトを見直す機会があった
職場の大規模なレイアウト変更の関係で、古い資料の大幅な断捨離を行わざるを得なくなりました。
10年以上前の検討資料をスクリーニングしつつ、今だったらどうするだろう?と考えながら見ていた中に高速RAW現像の断念記録があり、今なら出来るのではないか?と気付くことができました。
引越し騒動がなかったら気付かないままだったかもしれません。

2.試作実験できるタイミングがあった
上記の通り、本来なら実験機を作る余裕は無かったところに運よく機会が巡ってきたことがあります。 但しイレギュラーは時々起きるものだし、そうなった時を想定していつでも着手できるように準備していたのもあります。隙あらば乗じる構えがないと一瞬開いたチャンスの窓は閉じてしまうようです。

3.諦めきれなかった個人的背景
実は私はRAW現像が嫌いです。嫌いになった理由があります。
1990年代まだフィルムをたくさん使っていた30歳半ば頃、残業で疲れて帰った夜遅くに目をこすりながら、幼いわが子の写真をフィルムスキャナーでデジタイズしていました。
当時のPCには画像データは重たく、取り込みに何十秒、レタッチ調整(ある意味現像)にも何十秒、数枚処理するのに一時間かかりました。ヘトヘトです。それでもリバーサルフィルムの鮮やかな色彩で子供の笑顔がPCモニタに出たときは一瞬疲れを忘れました。
そんな夜中に父親の気配を察知した息子が起き出してきて作業部屋に入ってきます。スキャナーからフィルムのカートリッジが突き出てくる動きが面白くてつい指で引っ張ってしまいます。エラーが起きて長時間やり直しになったり場合によっては再起動が必要だったりして面倒なことになります。ヘトヘトなのに・・・
「勝手に触るなといつもいっているだろ!」とつい怒鳴ってしまい子供は泣きながら寝室に帰っていきます。考えてみれば、わが子可愛いさで疲労困憊の中をスキャン作業しているのに、その子供を抱っこせずに追い返して何の意味があったのでしょうか。
 2000年代には安価なデジタイズサービスが始まって、使ってみると十分なクオリティです。あんな思いして自分で作業しなくても数年待っていれば良かったのに。ヘトヘトでスキャンして調整していたあの時間が腹立たしくてなりませんでした。トラウマに近いですね。

後にRAWに関する仕事をしていても現像するのは嫌いでした。
長い処理待ち時間はどうしても許しがたく、一瞬で現像して欲しかった。
恨めしそうにこちらを振り返り「パパ、ごめんね~うぇー」と泣きながらよろよろ寝室に戻っていく幼いわが子の姿は忘れません。もしあの時に戻れたら、スキャナーの電源を止めて、抱っこするのに。時間は戻りませんが。
大人になった彼は何も覚えてないようですが(笑)、私にとっては20年越しのリベンジでした。

再現性を高めるには

以上のことから、運の要素と動機を拾い上げるやり方が提案できそうです。
例えば次の仕組みを開発に取り入れることで再現性を高めることができると思います。

  • 一度断念したコンセプトを捨てずに組織的にストックし、何年かに一度、棚卸しをする。
  • 棚卸しをする時は、元ネタに関わり強い思い入れをもつ人を参加させる。

<余談その2>
恨めしいスキャン作業の思い出でしたが、画像調整の基本はスキャン作業の過程で学びました。
また、2000年頃に大手コンビニと共同開発で全国展開するプリントサービス機の操作画面には社員から集めた写真が使われ、私がスキャンした画像もトップ画面等に使われました。実家の両親は近所のコンビニの店頭機に孫が載っているのを見て喜んでいました。あの時間は無駄ではなかったかもしれません。

以上

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